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データから読みとる物語「セブンスドラゴン」を遊ぶ

DSの古典味RPG「セブンスドラゴン」を遊んでいる。
別のドラゴンなRPGが延期しちゃったしな。

作ったのは「世界樹の迷宮」の人。
「世界樹」はDSのタッチ操作でマップが描けるというので古参RPG好きたちに訴求し、んで遊んでみたら古き良きダンジョンRPGを思わせてさらに納得されたというもの。
(記憶と印象です)

で、その流れを汲む「セブンスドラゴン」はというと、評価済みの流れがあるものだから、やっぱり古典的味のままで、シンプルな作りだ。
伝統芸能。

セブンスドラゴン(特典なし)Video Gamesセブンスドラゴン(特典なし)

販売元:セガ
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「セブンスドラゴン」の世界に固有名詞の英雄はいなくて、主人公一行はギルド単位で認識されてる。
(英雄と呼ばれてたりもするが、パーティ編成をほかのメンツに入れ替えても反応は一緒)

キャラクターはただの流れ者で、「実はそなたは運命の・・・」ってなこともない(と思う)、今後も。
7つの職業(外見は4種類から選べる)を4人組み合わせて冒険に出てね。
広い意味でのお使いをこなしながら、ざっくり言うと世界を救うためにドラゴン退治をする。
それだけだ。地味だけど、つつましく楽しめる。

RPGにもいろいろあって、これはデータで遊んで、想像力でロールプレイするタイプ。
何も語らない主人公たちだし、物語だって筋道が決まっている。
でも、遊んでいるキャラは自分の分身なんだな。

海外のゲームだと「FallOut3」とかが自由度の高さで「本格RPG」とされていて、その真逆。
でも自由な要素が多ければ本格なのか、優れたロールプレイなのかはわからない
それなら、コンピュータじゃなくて対人のRPG(テーブルトーク)の方がよかろう。行動はよっぽど自由だ。
映像で世界を語ってしまうことこそ、自由度の制限ではないか。(原理主義的な発言)
トークの部分をイメージに委ねたところからRPGは始まっている(はず)。
であれば、そのイメージの部分を膨大に精密にしてもしょうがない。

データと思うままに戯れる。それがRPG。
押しつけのストーリーでも同人誌は描ける。その妄想力が大事。これって日本だけ?

それに、日本のRPGは「簡略化されたTRPG」をさらにわかりやすく翻訳した「ドラゴンクエスト」から始まっている。
ドラクエは週刊少年ジャンプのコンテンツの側面を持つことで、すんなりとファミコン少年たちに受け入れられた。
その際に付加されたのはジャンプ的な物語って考えるのはいきすぎ・・・か?
主人公として、ジャンプにふさわしい行動が求められてはいなかったか。
遊び手の意識として。世界の半分なんて要らない!と言うべきだ、というか。あれも一種のエンディングなんだけど。

そうそう、日本のRPGは漫画、アニメの変形なんだよ。ジャンプから始まってるんだから。
読みながら、見ながら「(ある程度)自由に」想像させてくれる遊びなんだよな。

だから、あまりにも自由な選択肢、天地がひっくり返るような因果関係の入り組みを体験して、世界の一員になろうとか。そういう感覚とは違うところからスタートしてるんじゃないか。

というわけで、「ウィザードリィ」っぽい古典の味を受け継ぐ「世界樹」系譜の「セブンスドラゴン」が、実に日本っぽくなっているような気がして、面白かった。(まだクリアしてないけど)
海外は「ウィズ」「ウルティマ」から「FallOut3」を作ったのにな。

RPGは自由を求める。でもその自由って、心の中だったり、目に見えた世界だったり、選択肢の広さだったり。いろいろだよな。

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