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「ニンテンドー・イン・アメリカ」 誰でもないマリオと代えがたい私たち

「ニンテンドー・イン・アメリカ」
駆け足だし、他の本とかぶるとこもあるけど、海外視点の任天堂ヒストリー。

天才がおりまして、というだけの話じゃなくて、ゲーム産業の変化や関連する技術の周辺事情がわかりやすい。
任天堂の公式見解ではない、とあとがきに添えてある。

帯に「なぜ任天堂『だけ』がアメリカで成功できたのか」とある。
誰でもないMr.ビデオゲーム=マリオの立ち位置を追っていく構成でもあり、
ソニックはじめ他社の看板キャラクターがどうしても何か特定のゲームの象徴になってしまうことから、
はじめの問いはマリオの存在で受けられている。

ネタばれしてもなんだけど、誰でもないマリオは、誰にも代え難い「私たち」主役のゲーム時代で、どこへ行くのか、という本。


あと「ゲームではなくアクティビティ」ってフレーズはシンプルでツボをついてる。
言葉遊びのような気もするけど、そこに線は引ける。


本書とは関係ないけど、
任天堂がDSとWiiで、誰でも遊べる、あなたが主役の「生活の隅っこにあるゲーム」を開拓したら、
そこにソーシャルが入ってきた……いや、開拓しなくても出てきたか。
ハードウェアをゲームのために買ってるかどうかが最大の違いなんだから、やっぱり普通のカメラとかブラウザとかつけなくてもいいんだろうな。


「その『正義』があぶない」
テレビやネットで「こうだよ!」と突きつけられる状態に「確かに。わかるよ、でも」とやんわり突っ込むコラム集。
相撲とサッカー、原発・政治。違う世界なのに泥に埋もれた根っこが似てるようだ。

急速な変化も、不滅の伝統も、どっちも無言でヨシとはしない。
どこまでさかのぼったら水に流れるのか、どこまでいったら重箱の隅と認定されるのか。
よく考えたらおかしいと思うために落ち着いて自問自答する……そのための知識と知恵を入れておく。
そうありたい。入ってくるニュースはいくらでもあるもの。


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