« いろんなものが漫画で表現できるよ | トップページ | 暴れておやりよブライエニー »

応援される側から、する側になっていたAKB48

映画館で観損ねていた「Documentary of AKB48 Show must go on」をDVDで見た。

「非選抜アイドル」を読んであったので、総選挙のシーンでは前田敦子の隣の仲谷明香に目が行く。

段取りが酷かろうが過呼吸で倒れようが、幕は下りない。まさにShow must go on.
自分のために始めたアイドル道なのに、勝手に下りることは許されなくなっている。
一年で転換するもんだな…。成長なのか進歩なのか。

見どころは、ほぼ自動的に立ち上がる条件反射のダンス。そこに尽きる。
どんだけ追い込まれたらあの反射行動ができるようになるのか。

最初のドキュメンタリー映画は映画館で見たんだけど、
普通の女の子が夢を持ってアイドル道へ踏み出して、自分の魅力ってなんだろうという少女らしい気持ちを整理しながら頑張るという内容だった、と記憶している。

舞台裏らしいところは、厳しい練習、ガツガツした食事、疲れ果てて眠りこける姿など、アイドルの素顔そのまんまというか、アスリートのような見せ方だったかな。
見てる側(一般のファン)は、がんばる少女たちを応援するものだった。

今回の「Show must go on」は、震災を絡めたこともあって、
AKB48がもはやただ応援されて頑張る存在ではなくなってしまったということがわかる。
「非常時に歌って踊ってていいのか?」
という疑問に対して、「私たちが歌って踊ることで世の中に何かできる」と答えてしまった。

これはしんどい。

AKB48って「自分の夢のために頑張る私を応援してください」の企画だったはずなのに、
震災をきっかけに「世の中を応援する」側になってしまった。
人気アイドルとして当然なのかもしれないが、価値観は大逆転しているんだし、子供が体験するにはキツすぎる。
最近入ったメンバーなんて、まだ「これまで応援されてきた貸し」はたまってないだろう。
いきなり「応援して借りを返す」責任だけ追うなんて。

でも震災がなくても、人気の拡大でファンの期待値が上がり、大箱での興業が動きだして業務的にクリアすべきクオリティが跳ね上がっていた、ようで。
これ、総選挙で応援の量が見えるようになったのも一因だよなぁ。
目に見える貸しは重たいよ。応援の愛なんて無償で定量化できないもんなんだから本来。


AKB48が世の中に責任を負う存在ならば、それなりの見返りを与えられていてほしいなぁ。
背負わされてる義務はいっぱしの「持てる者」レベルなんだから。




|
|

« いろんなものが漫画で表現できるよ | トップページ | 暴れておやりよブライエニー »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/512135/45094853

この記事へのトラックバック一覧です: 応援される側から、する側になっていたAKB48:

« いろんなものが漫画で表現できるよ | トップページ | 暴れておやりよブライエニー »